看護教育1
ハワイでも気温が下がってきて
感染症が流行してきた秋です。
このシリーズは、
看護教育について意見を述べたいと思います。
今回は、意見を述べる前に
「自分の看護教育にまつわる背景」
を示したいと思います。
実績がない人には、説得力はないので。
- 看護教育は大嫌いだった
- カリスマ講師の鞄持ちで衝撃!!
- まさかの日本一の講師へ
なんでも挑戦するので、
キャリアがめちゃくちゃですが
某予備校で看護師国家試験の講師として
数年間、日本一と認定されていました。
もう引退しましたが、
あまり知られていない(語らなかった)
その歴史を書いてみたいと思います。
- 看護教育は大嫌いだった
看護教育に関わるきっかけは、
メンターたちからの助言(強制)でした。
みなさんも同じだと思うのですが、
「大学(専門学校)の授業ほど
つまらないものはなかった。」
という自分自身の体験が根底にあります。
大学を卒業して
「看護教育 = つまらない授業」
と思っていた自分は、
「看護教育には死んでも関わりたくない」
と考えていました。
ただ大学院で、担当教授から
「将来、絶対に役に立つから」
と半強制的に単位を取らされたのが発端です。
そして、日野原先生をはじめ、
「臨床、教育、研究」
の3つをバランス良く実践してこそ
「真の医療者だ」
と耳タコ的に言われ続けたので、
看護教育へ関わることになります。
とても若かった自分は、
大学院で看護教育の単位も取ったし
真の医療者になるには教育も実践しようと
「スーパーすごい授業してやるぜ!」
と某予備校(国家試験対策)の門を叩いたのが
実際に看護教育を始めた機会になります。
なかなか意味不明ですが(笑)
単純に、大学のヒエラルキーが大嫌いなことと
「予備校なら実力ですべてが決まる」と思い、
履歴書もって直接交渉に行きました。
このアクション・ファーストの法則は、
大学院において国際教室の先輩方々から学びました。
(彼女たちの行動力と比べたら、ぼくは足元にも及ばないです。)
面接で講義のテーマをもらい
(肝細胞と母子保健法の2つでした)
1週間後に模擬授業となり、
自信満々の講義のはずが
「それじゃ、採用できないよ。」
と言われました。
(そりゃそうだ。)
食いついて、次の週に
もう一回同じテーマで模擬授業しても、
「それでもなー。無理。」
と言われたので、
さらに食らいつくと
「君の、その姿勢はいいね。」
ということで見習い(採用保留)になりました(笑)
「センスは悪くないけど、経験がなさすぎる」
との評価を受けて、まずは
「カリスマ講師の授業じっくりを見ろ」
とアドバイスを受けて、
「公務員対策の超有名な
政治・経済のカリスマ講師」
の鞄持ちになりました(笑)
- カリスマ講師の鞄持ちで衝撃!!
迷走しすぎですが(笑)
ただ、これが本当に本当にすごかった!
鞄持ちなので、講師に変わって
出席とったり、プリント印刷したり、
黒板キレイにしたり、水を用意したりしつつ
後ろの方で授業に出させてもらっていました。
もちろん、臨床メインの時期だったので、
日勤後とか夜勤明けでやっていました。
その授業は、自分の想像をはるかに超えた
「わかりやすさと展開」でした。
具体的には、
経済なんて一回も勉強したことないのに
わかりやすい授業でスラスラ頭に入るし、
授業の雰囲気作り、おもしろい話で爆笑だし
最終的には過去問を正答できるようになり、
感動して失神しそうになりました(笑)
知らぬ間に問題が解ける「魔法の世界」です。
そして、授業終わった後には
授業のコツをひとつひとつ丁寧に教えてくれて、
さらに他のカリスマ講師にも紹介してくれて、
いろんなスタイルのカリスマ講義を見せてもらいました。
(普通は絶対に、絶対に見せてくれません。)
できる限り多くの授業に出て、テクニックを学び
また授業終わったら、真摯にいろいろと聞いていました。
印象的だったのが、
カリスマ講師も教育学修士などの大学院卒であり、
実はしっかりと教育理論に基づいて講義していたことです。
授業後に「今から一緒に来い!」
と近くの紀伊国屋に連れて行かれ
十冊以上の教育学専門書(5万円超)
をその場で買ってくれたこともあります。
そんな貪欲な姿勢を高く評価してくれて、
カリスマ講師チーム(給料の桁が違う!)が無償で
自分の模擬授業を何回も見て、指導してくれました。
「俺のテク、すべてをパクれ!」
と言えるのは、やっぱりカリスマです。
そして、原理原則を学んだ自分は
模擬授業をクリアして、晴れて臨時講師となり、
小さい会場メインで授業を行うようになります。
素直に、授業担当できるのが
本当にうれしかったですね。
もちろん、一番下っ端です。
大雪の中、会場となる公民館の教室に朝早く着き
空調入れて、自分で学生の椅子とテーブル用意し
ホワイトボードを集めて、会場を自分で作り
1日授業するスタイルでした。(もちろん片付けも)
学生も10人くらいですかね。
あのローカルスタイルは今更やりたいし
なんせ5時間の授業案用意するのに
30時間以上かかっていましたね(笑)
「ひたすら授業して、うまくなりたい」
との思いで、どんなに遠くても進んで行ったし、
会場の設営とかも、とても楽しかったですね。
地方の、さらに田舎の学生なので、
非常に素直で、いろいろと聞いて来てくれるし
「国家試験受かって、看護師になりたい」という思いは、
自分が忘れていたものを思い出させてくれました。
自分自身も20代半ばだったので、
現役生と年も近く、授業うんぬんよりも
# 偉そうじゃない
# キャラおもしろい
# 自分でもわかってないことを認める
などの今までの講師との違いで
授業の評価が良くなっていきました。
すると予備校のすごいところで、
ビジネスなので、評価がいいと、
どんどん大きな会場も任せてくるし
給料も客観的にあがっていくスタイルは
本当に自分にあっていました。
もちろん、評価悪くて
クビになりかけた時期もあります(笑)
客観的なアンケートと口コミで評価されるのと、
予備校行ったことある人はわかると思いますが、
学生は、担当する講師で授業を選ぶので、
自分の担当する講義の学生数が多くなっていきます。
- まさかの日本一の講師へ
人気出てくると、さらに楽しくなり、
「今の看護って、終わってるよね。」
というと意外と学生の方が同意してくれるし、
イカツイ男性看護師の講義だったので、
やる気ない学生ほどモチベーションが上がって
メキメキ勉強して、結果を出すようになり、
相当、授業に入れ込むようになりました。
結果、
「日本一の講師」になりました。
もう引退しましたが(笑)
最後に某予備校がリスペクトを示してくれて、
自分の顔写真を全国の宣伝に使ってくれたので、
「電車の広告お前だよね、キモい」
「駅前の看板にデカイYuitoいた」
と相当にいじられました(笑)
ちなみに、お金のことは一切考えたことなく、
「ただ純粋に看護の楽しさを教えたい」
というモチベーションでがんばっていました。
また個人的には
自分を超えている講師を知っているので
日本で二番目だった、と思っています。
自分の担当する授業が
すぐに満席になったのは、ちょっとした自慢です。
すごいのが、人気が出すぎて
「もう経費とかいいから好きにやりな。」
と言われて、高級ホテルのバカでかい会場借りて、
学生540人を一挙に教えたこともあります。
(前にも書いたかな。)
あまりにも部屋が大きくて
後ろの方は見えないので、
自分が前のステージで講義している場面を
テレビクルーが同時に撮影していて、
それをプロジェクターで
いろんな大きな画面に投影しているという
摩訶不思議な講義でした(笑)
TVクルーだけで経費100万円です(笑)
逆に非効率すぎて、もう一生やりません。
ただ、予備校教師は本業ではなく
看護教育への思いでやっていたので、
(「看護教育 = スーパーおもしろい授業」)
海外での疫学がメインとなり、
時間的な余裕がないので、廃業しています。
少なく見積もっても、
看護学生2万人以上
医療系学生3万人以上
看護系学校50校以上
に講義したことになります。
- 看護教育は大嫌いだった
- カリスマ講師の鞄持ちで衝撃!!
- まさかの日本一の講師へ
今回は、
「自分の看護教育にまつわる背景」
でした。
ちょくちょく教え子が
読んでくれているみたいなので
ひさしぶりに、ひとこと。
「ヒゲおじさんは、元気にやってますよー」
「看護に縛られずに、自由に生きているかい?」
臨床にいる教え子たちへフォローアップセミナーや
看護教員向けに、講義の作り方セミナーを
できたらいいなと、漠然と考えております。
簡単にいうと
「看護教育を語る権利があるぜ。」
と言いたかっただけです。
看護教育には今、劇的な変化が必要なのに
封建的な文化により、変わる気配すらしません。
(多くの看護師、看護教育を苦しめています。)
予備校教師として大学に教えにいくと
「予備校教師なんか、」と
大学教員からバカにされたことは多々あります。
(自分は逆に笑っていましたが。)
だから、実績を示して
説得力を持たせたかっただけです。
あんま内容のない記事でしたね。
次回は、
「看護教育の限界を知る」というテーマで、
看護教育がマクロから見て
どのように変わるべきかを提示したいと思います。