フィリピン2
ぼちぼち出国ですが、
書けるところまで書いてみましょう。
いつも成田から深夜便で
中東に朝着くパターンが多いので、
出国当日も普通に仕事してジム行って、
夜ご飯食べて成田へ向かいます。
さて、前回の続きです。
マニラでさわやかな朝を迎えて、
空港の近くでフィリピン大学公衆衛生学部と
Breakfast meeting(朝ご飯会議)です。
事前にランダムサンプリングや
調査項目の妥当性検証、
調査スケジュールも決定しているので、
# 北と東地区 → フィリピン大学
# 南と西地区 → YUITOチーム
が調査することとなっていました。
フィリピンはスペイン統治により、
クリスチャンが多いのですが、
南は、マレーシアとの国境で
イスラム教徒が多く、紛争が絶えません。
ミンダナオ島では貧困とあいまって、
ここ数年で停戦合意したものの、
まだ散発的に銃撃戦が起こり、
ほぼ自治区になっており、
普通のフィリピン人が入りにくい地域です。
西は穏やかですが、反政府勢力がおり、
警察官が襲われて殺される事件もたくさん起こっており、
銃が相当量出回っているのがフィリピンの特徴です。
そういうことで、
自分の出番ということになるわけです。
ムスリムの格好でひげを伸ばし、
アラビア語であいさつしたり、
コーランを用いて議論したり、
長老に特殊なあいさつをして許可を得たり、
ムスリム独特のシステムを熟知して行動しないと
一瞬で、拉致されて、まあそうなるわけです。
ただ、しっかりと礼儀を尽くせば、
男社会なので、ものすごい無償の友情を受けれます。
空港のゲートもムスリムに気を使って
男女別になっています。
ミンダナオなどのムスリム地区では
診療所自体が男女別になっていることもあります。
アジア、中東、アフリカとそれぞれ宗派によって、
別の宗教かと思うくらい制度が異なります。
フィリピンのご飯は、
中華圏とインド圏とタイ圏が
ごちゃごちゃになったかんじで、
なんでもかんでも塩と砂糖をかけるので、
個人的にはかなりビミョーでした。
ただ、アジア圏なので、米がメインで、
麺類もあるし、チキンもうまいし、
中東とアフリカよりはよっぽどおいしいかったです。
この後、
離島で毎日チキンを食べさせられるという
(それ以外に食材がない!)
チキン地獄となるのですが、
炭水果物をうまく制限できて、
体も締まり、3kgくらい体重落ちました。
おもわぬ誤算で、
日本人がいかに「米」を
食い過ぎかを理解できたし、
たんぱく質で大きく体が変化することを体感できる
よい栄養管理勉強になりました。
フィリピンやマレーシアに行っても、
セブンイレブンやカップラーメンなど
日本製品を見かけると、とてもうれしくなります。
電化製品などの競争が激しい
コストにインパクトがある「ハード」よりも
コンビニという店の経営、医療や看護という
クオリティーにインパクトがある「ソフト」を
日本はこれから世界に売っていくべきだと考えています。
俗に言う、
高付加価値・高価格戦略ですね。
「ものづくり」として、
製品が形になるとわかりやすいし、
売ったという達成感が大きいですが、
情報レポートや教育など
売ったという実感が少ない無形のサービスもまた
しっかり「日本ブランド」として
ものづくりと同じように外貨を稼いでいます。
アベノミクスで「第3の矢」として
成長戦略が議論されていますが、
形のない知識を世界に売っていく
「ソフトパワー戦略」が
今後の大きな国際成長戦略になり、
また自分自身が行うべきことだと考えています。
自分は、
「日本の医療システムと日本看護」という
日本にしかない世界一の「ソフト」を
世界に輸出しているのです。
安くて単純で模倣可能なものは
中国や韓国に作ってもらって、
複雑で高度な思考と必要とする
(特に医療・看護!)
日本にしかできない事に焦点を当てるべきなのです。
30年後には単純労働としての看護は
給料が10分の1の外国人にとって変わられることは
「変えられない未来」でしょう。
誰がなんと正論を並べようと
看護もまたビジネスであり、
資本主義の中で生き延びなければならないのですから。
ちなみに、
紛争地などの仕事では安全上の問題から
本当に仲の良い研究者以外は、
実名はあまり使いません。
プロジェクト毎に
それぞれ医療者や研究者が集められる場合が多く、
毎回、違う人たちとチームを組んで仕事します。
自分はいつもCode Name "TOYOTA"で通っています。
English Name とも言われたりします。
"YUITO"とは外人からすると発音しにくく
(ジュイトと発音されます。)
また日本の名前は覚えにくいので、
「日本=車=TOYOTA」でしょうということで。
一発で覚えてくれるし、
世界どこへ行っても
「おれはTOYOTAが好きなんだ。」
「おれは金持ちになってTOYOTAに乗るんだ。」
とたった"TOYOTA"と一言話すだけで、
こんなにも人々と仲良くなれるのか
と日本の歴史と底力を感じます。
海外でも紛争地でも
情報がすべてを決めてしまいます。
情報は今やお金より大事な通貨です。
紛争地では「情報がない=死」を意味します。
なので、いつも電池で動く世界ラジオを持ち歩き、
最低でも1つはある現地の英字新聞を毎日読みます。
アフリカは、ほとんどラジオで
世間の情報がまわっているし、
紛争地もラジオで市民をあおっています。
ラジオを使って、
「明日の昼に学校で調査するよ」と宣伝したり、
現地新聞に
「おれは日本から来た医療者、
医療ビジネスの情報があるやつは
滞在中にこのホテルのフロントに来い」
と広告をだして、ビジネスにつなげたり、
現地スタッフをリクルートしたりします。
まさにサバイバルですね。
それで今回、飽きるくらい乗った
「セブパシフィック航空」です。
フィリピン中を飛行機で網羅しているし、
意外とキレイで定時性が高い航空会社なんですが、
フィリピンは島ばかりなので、
移動で10回くらい乗って、もううんざりでした。
フィリピンでは、セブパシフィックが生まれ、
マレーシアでは、エアーアジアが生まれ、
どちらの国も島が多くて、交通利便性が悪い
という問題を抱えてた故に、
イノベーションが起こり、
2000円くらいで飛べるようになったわけです。
まさに
「リバース・イノベーション」の典型であり、
制約があるからこそ、
イノベーションが生まれるのですね。
機内もキレイだし、
ちょっとしたクイズエンターテインメントもあります。
韓国人インターンが
張り切ってクイズに正答し、
ペンやら、グッズなどをもらっていました。
だんだん、
楽しめるようになってきてひと安心です。
マニラはこんな感じで、
超高層ビルで日本以上に良い病院もあります。
正式には
「メトロマニラ」と呼ばれており、
日本を管轄している
WHOの西太平洋事務局(WPRO)もここにあります。
某病院では、PCIもバンバンやっており、
ICUでIABPも普通に管理していました。
アメリカとイギリス帰りの医者が多く、
ナースもキレイな英語でレベル高いケアをしていました。
最近、規制が厳しく、
病院やスタッフの写真を
SNSやブログに載せることはできません。
特に人物や具体的な場所などは
Securityの関係から少しぼかして書いています。
ご了承下さい。
1時間くらいでマニラから南西に行った
田舎街に到着しました。
まずは、大きな島の山側で
サンプル対象となった診療所や病院を巡り、
健康データを取りつつ、
住民と医療者(ほぼナース)に
医療で困っていることはないか
いろいろと聞いて行きます。
それぞれ、医療にまったく関係ない
現地コーディネートがおり、
車やらバスやらで案内してくれます。
実際にデータ収集するのは
各自治体の保健センターの職員であり、
YUITOはデータ収集の精度管理や
実際の現場を見て印象をもらっています。
ということで、
大きめの島の空港に無事に到着しました。
空港と行っても、滑走路と建物だけで、
滑走路が土のこともあります。
飛行機も医療も、けっこう適当でも
要点さえ押さえていれば、
システムとして大丈夫なんだな
と感じる今日この頃です。
もうすぐ出国ですが、
ネットあるうちはがんばって書きます。