エルサレム3
引き続き、聖地エルサレムです。
これは、エルサレムのハイライトである
十字架で息を引き取ったイエスが香油を塗られた台です。
ユダに裏切られてイエスが捉えられたゲッセマネの園も
オリーブ山にあり、聖書が現実のまま存在しています。
個人的には一生に一回だと思っているので、
本当に感動し、興味深く散歩できました。
キリスト教は預言者イエスを救世主であると信仰し、
イエスに関する新約聖書を教典としています。
預言者イエスは出てきて聖人として信仰されています。
ただ、ユダヤ教は預言者イエスを認めておらず、
旧約聖書を教典として、ユダヤ教国家の復活を待ち望んでいます。
宗教に関する知識は教養として身につけるべきもので、
世界の動きがスムーズに理解できるようになります。
エルサレムで数日かけて聖地巡りを終え、
過去に何度も紛争して、
現在は分離壁によってユダヤ人地区と隔離され、
イエスが生まれた聖誕教会も
アラブバスに乗って、1時間かからずに、
検問ゲートをくぐり、分離壁の向こう側である
完全にアラブ文化で、
物の押し売りがあり、汚い町で
イスラムで仕事している自分としては
「やっぱ、これだね。」と安心できる場所で、
本当に居心地が良かったです。
ここでは、ご飯やコーラもほぼ半額であり、
アラビア語で話すとユダヤ人に対する不満が出てきます。
上がユダヤ人が住む新市街であり、
下がアラブ人が住むパレスチナで、
たった壁一枚でこんなにも環境が異なります。
近くをいろいろと散歩して、
住民と会話を楽しみ、情報を集めます。
薬局系をまわると、医薬品は充実しており、
おそらくヨルダンからのルートで
エルサレムで販売されている先進国用とは別の
発展途上国用のものが販売されていました。
料金も質も住民がアクセスできるレベルです。
次にパレスチナの看護教会に行くと、
「わざわざ日本から来てくれた。」と
汚い服でヒゲだらけの自分を泣きながら歓迎してくれて、
「そんな重要人物じゃないし。」と思いつつ、
看護人材の話をいろいろとしてくれました。
正規の看護教育を受けるシステムが整備できず、
大学を出たリーダーシップを持つ看護師が不足しており、
医療システム管理や政策提言できる人材教育が
早急に必要であるという部分が印象的でした。
パレスチナの看護師も少しづつ進学するようになり、
ヨルダン大学も善意で人材を教育してくれているそうです。
中東では看護系はヨルダン大学が秀逸で、
WHO centreがあり、中東看護をリードしています。
ヨルダン大学でも聞きましたが、
パレスチナ全体としての公衆衛生データが
どこにあるのかわからずに、問題を発見して、
介入するということが難しい現状みたいですね。
病院を巡ってもリハビリの概念がなく、
リハビリ専門職をみかけなかった気がします。
病気より病気に関連した後遺症として
失職や家族との関係離縁などがあり、
社会的な介入も含むリハビリを提供すべきだと感じました。
ただデキル人材はもちろん給料の良い場所で働き、
曖昧なアイデンティティーに苦しむ人も多いみたいです。
今度、ゆっくりヒアリングとデータ集めします。
これだけ壁で分離されると、
さすがに人権的にどうなんだと思います。
検問では、パレスチナ人はひとりひとり
ID checkとBody checkがあり、
偉そうなユダヤ人を見る事ができます。
政治的なことな抜きにして、
個人的にはパレスチナの看護を
政治的に中立である日本がサポートしていくと
かなり公衆衛生が改善するのではないかと思っています。
もし、ここに硬い大きな壁があり、
そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、
私は常に卵の側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、
それでもなお私は卵の側に立ちます。
正しい正しくないは、他の誰かが決定することです。
あるいは時間や歴史が決定することです。
もし、小説家がいかなる理由があれ、
壁の側に立って作品を書いたとしたら、
いったいその作家に
どれほどの値打ちがあるでしょう?
村上春樹「壁と卵」より
このスピーチは
パレスチナのことを読んでいるのですが、
「マリアのイエスに対するまなざし」
と同じ概念(=看護)を述べているのではないか
と自然と思えて、すべてがここでつながってきます。
日本の看護はくだらないことだらけの
「堅くて大きな壁=システム」ですが、
何があっても
「卵=市民=新しい看護師」
の側に立つ続ける人でありたいと思います。
だからこそ、
壁の向こう側のパレスチナで
看護に思いを馳せていたのです。