NEW NURSING

ハワイの疫学者が日本の医療について議論する記事です。

NEXT Health Care

次世代の医療へ

中東移動2

さて、そろそろ中東へ飛びましょう!!

いよいよ出発の時間です。


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その前に、

今回の移動について確認しておきましょう。


成田空港(日本)からドーハ国際空港カタール)までは、

8,300 km(5,100マイル)で12時間の旅になります。


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中東は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの

中心に位置しており、移動に便利な立地です。


いかに日本が遠いか、

日本が極東(Far East)であるか理解できますよね。


ちなみに、

ドーハとドバイアブダビの関係は以下の通りです。


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中東も分類上、西アジアに入り、

自分たちはアラブ人であるが、尊敬を込めて

自分たちも日本人と同じアジアに住んでいると言ってきます。


日本人の存在感は世界で一番です。

日本人だから、中東の医療で活躍できています。


I'm the ruler of health care in middle east.


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2200 搭乗開始


準備万端で機内に乗り込みましょう。

いよいよ12時間の快適な旅が始まります。


みなさんは、

看護師として医療者として、日々世界に貢献しているので、

本日は感謝の意味も込めて、良いクラスをご用意しております。


まずは、優先搭乗でどうぞ!


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2205 シートに着席


このクラスは落ちついており、

人も少ないのが特徴です。


好きな席を選んで、

自分の必要な荷物を取り出して、席に座って下さい。


シートは劇的に広くて、座席の前にある機内雑誌は、

一回席から立ち上がらないと取りに行けない不便さがあります。


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YUITOは、いつもの定位置を選び、

いつものヘッドホンと手帳、本、ペンを取り出して、

毛布と枕をセットすれば、準備完了です。


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2210 ウェルカムシャンパ


みなさんの医療者としての

国際デビューを祝って、乾杯しましょう!


どうやって世界を変えていきましょう?

いろいろと夢を聞かせて下さい。


このクラスでは、一流ビジネスマンや

クセのある凄腕経営者が乗っているので、

かれらの振る舞いを観察しても勉強になりますよ。


自分の細かな生活習慣が自分の能力をつくり、

自分の能力こそが、自分の未来をつくります。


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2230 フライト


やっとフライトです。

今日も1日お疲れさまでした。


今日の勤務で学びはありましたか?

またひとつ、ひとのいのちに向き合えましたか?


下に成田空港が見えますね。


あなたがいるおかげで、

この下にある日本の医療が

しっかり回っていることを忘れないで下さい。


あなたはこの世界に貢献しているし、

あなたは世界から必要とされている人材なのです。



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2300 夕食


寝る前に軽くご飯を食べましょう。

メニューから好きなドリンクとご飯を選んで下さい。


CAさんに相談すれば、気を利かして

あなただけのコース料理を出してくれますよ。


一流のものが提供している価値を体験してみて下さい。



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ドリンクは何にしましたか?

シャンパンのロゼですか。上品ですね。


自分は白ワインのシャルドネにしました。

まずは前菜で、サーモンの刺身の巻きものです。


「あの、いろいろと聞きたいことがあるのですが?」


どうぞ、どうぞ、時間はたっぷりあるので、

ご飯を食べながら、いろいろ話しましょう。


「なぜ、看護の道に進んだのですか?」


お話しましょう。


基本的に自分は、医療現場(臨床)とか看護に興味はなく、

医療研究としての「保健(Public Health)」を勉強したいと

思って大学に進学したのが、この道のスタートです。


弟がしょうがい児であったことに大きく影響され、

家族の大変さを知り、生きる意味について興味があり、

「医療」という視点が自然と出てきました。


人間関係や医療の現場は好きになれなそうだったことと

高校時代に数学系・理科系などの勉強ができたために、

「研究」の方向性がいいなと感じていました。


ただし、試験管を振る研究は嫌だし、

フランスからの帰国子女だったので、

「世界」で仕事がしたいと思って、


「医療」+「研究」+「世界」

=「国際保健(Global Health)」


という分野を勉強して、

そのまま仕事としていくこととなりました。


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なぜかデカイ味噌汁が来ましたね(笑)

スープのつもりだと思います。


「それで大学時代には?」


帰国子女が集まる、本当に自由な高校で

左よりの教師に授業を受けたことで、

「戦争」や「日本」、「文化」に興味が芽生え、

「ひとりの人間として成長したい」との思いから、

すべての人の反対を押し切って、

沖縄のちいさな大学へ進学します。

(もちろん、良い大学も受かりました。)


そこで、自由に離島医療を学び、

島での人間関係やケアシステムに感銘を受け、

また沖縄戦の場所を巡って話を聞いたり、

後輩やアメリカ兵と飲み遊んだりして、

「自由に」医療を学び、

いろんな人に大切に育ててもらい

沖縄でやっと「ひとりの人間」になれたのです。


「看護師」として働く気は全くなく、

授業はテキトーに受け、実習はギリギリで、

だけど、いつも「研究者になる」と言って、

図書館で洋書を熟読していました。


沖縄で育ててもらったので、

死ぬまで沖縄には頭があがらないです。


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来ました、Sushi in the sky です。

空の上で食べる寿司は、ビミョーですね(笑)


「その後は、大学院に行くんですよね?」


そうなんです。


研究者になりたかったし、洋書を読んで、

世界レベルってハンパない!と思ったので、

海外に勉強に行ける大学院を選ぼうと考えました。


当時はアフリカでの論文がたくさん出てきた時期であり、

「アフリカに行きたい!」という

まったく根拠のない願望がありました。


「国際保健」で有名な大学が少しあるのですが、

封建的で自由な研究はできなそうだし、

「看護理論」をもっと勉強したいなと思って

看護系の大学院を探してみると

「臨床経験がないとダメ」とすべて門前払いでした。


ただし聖路加の国際看護教室だけが、

「やりたいことをやりなさい。」と受験を許可してくれて、

大学4年生のときに朝6時から学校の教室にひとり引きこもり、

英語や小論文、専門科目を必死に勉強して、

面接では完全に落ちたと思いましたが、合格通知が来ました(笑)


大学院は、何もかもが新鮮でした。


授業の講師陣は、大学の時に熟読していた教科書を

書いている人ばかりだし(サインもらいました 笑)

急性期や精神、助産などすべての院生で

領域関係なく「看護」について議論でき、

みな自分より年上で、看護のキャリアもあるし、

デキルと思っていた自分が「みじんこ」に感じました(笑)


聖路加大学院システムはアメリカ型で、

自分の研究以外の看護管理や看護教育など、

他の領域の授業を取らないと卒業できないのですが、

それらのことが今になって役に立っています。


看護教育は興味がなく、強制的に受けさせられましたが、

今では看護教育でビジネスしていますからね(笑)


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まだまだデザートも出てきます。


「それでアフリカに留学するんですよね?」


大学院で授業を受けつつ、

看護師としてバイトしながらお金をためて、

NGOで活躍している先輩を頼ってアフリカに行き、

国立大学の研究所のドアを片っ端からたたいて、

「おれは日本から来た大学院生だ。勉強させてくれ。」

と聖路加のパンフを見せて頼み込みました。


すると、タンザニア国立ムヒンビリ大学看護学部

助産学専門のセバルダ教授だけが、

「いいわよ。来なさい。」と提携もしていないに

本当に善意のみで、短期留学生にしてくれたので、

リュックサックひとつで、10万円を握りしめて、

NURSING RESEARCHという看護研究の名著のみを持って、

再度ひとりアフリカに旅立ちます。


今思うとマジでムチャクチャですね(笑)


毎日授業に参加させてくれて、

そのレベルの高さに唖然としつつ勉強して、

教授からのスーパーバイザーを受けながら、

自分のHIV研究をすすめていきました。


日本とタンザニアを行き来して合計1年弱留学し、

教会ドミトリーの狭い部屋で、蚊に刺されまくり、

停電の中、ろうそくで勉強して、

断水あたりまえでシャワーも浴びれずに、

夜は襲われる街で、けどとても楽しく

現地人以上の貧乏生活をして

なんとか留学と研究を終えたのです。


今思うと本当にキツカッタけど、

最高の思い出と成功体験となりました。


当時は、研究が終わるまで帰国できないので、

泣きながら進まない研究に必死で取り組んでました。


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「人生が変わりましたか?」


はい、自分の使命を得ることができました。


弟が生まれて日本に帰ってきて、

なにか腑に落ちないものがあり、

自分は何のために生きているのか

何をすべきなのか、大学生のときもずっと悩んで、

いろいろと哲学書を読んで考えていました。


で、アフリカに行って、

じわじわとわかってきたんです。


「自分はこの世界を、

 よくするために生まれてきたんだと。」


「特に看護を使って、

 特にアフリカをよくしていくんだと。」


使命といいますか、覚悟といいますか

なんとなく、つかめてきたんです。


本当に貧困生活をしているのに、

アフリカでの生活はこころから楽しく、

病院や研究調査先では、自分を見て、

みな笑顔になってくれるし、

自分もこころから楽しいなと感じていたからです。


それからは迷いなく、

誰に文句を言われようと強く

自分の使命を果たすために生きて行けています。


まさに、フランクルの「夜と霧」にある、

「人生に何かを期待するのではなく、

 人生から何を期待されているのかを

 考えて知り得て生きていくのです。」

という言葉につきます。


紛争地に仕事に行くときは遺書を残して、

もう日本に帰れないかもと思って行きますが、

そこで殺されたとしても自分の本望だと思っています。


自分の使命のために死ぬのなら、

それ以上に尊厳豊かな死はないでしょう。


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「わたしは、まだ使命が見つからないのですが?」


使命は、探さないと見つかりません。

つねに、どんなにつらくても自問自答し続けることです。


自分と向き合って、考えて考えて、

いろいろな体験をして、苦しんで、

だけど、気がついたら

それらしきものが知らぬ間に

自分の中にあることに気づくでしょう。


もちろん、

早くても5年はかかるでしょう。


ただ、答えは自分の中にしかないのです。

自分の人生の意味を考え続けるのです。


この映像が探し方を教えてくれます。

スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕) - YouTube


いつも、自分の人生の意味を考えないで生きて、

間違えを犯したり、大きな代償を支払ってしまう人

の多さに、閉口してしまいます。


何のために生きるのか?

簡単な答えに飛びつかず、考え続けて下さい。


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0000 パジャマに着替え


ということで、話が長くなりましたが、

ご飯も食べたので、そろそろ寝る準備をしますか。


CAさんがパジャマをくれるので

やたらに広いトイレで着替えて、

歯磨きしたりして、寝る準備をしましょう。


スーツを脱ぐと、

自分の脇汗のすごさに閉口させられます(笑)


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