日本医療1
最後は、
「日本医療」を考えていきたいと思います。
自分の国のこととなると
なかなか感情的で複雑な心境となります。
日本の医療と看護は、
「世界でもトップの質を持ち合わせている
アジアをリードしうる存在」
であると考えています。
しかし、日本の医療は課題も多く、
戦略的に構造変化をしなければ、
「高齢化や医療費の増大」という
確実に迫ってくる劇的な変化に耐えられず
国として安全保証を脅かす存在となってしまいます。
日本も医療も変化し続けないと
世界というフィールドで、
発展がすさまじい途上国に
主導権を握られてしまう可能性があります。
ずっと同じところにいると、
そこでの常識があたかも世界の常識のように
思えてしまいますが、実際はそうではなく、
「日本の医療もあくまで
世界の医療と比較して、相対的に評価される」
必要があると思います。
特に「島国」である日本にいると、
「世界」の流れの速さを体感することが難しくなります。
個人的には、
世界で育ち、世界で仕事しているので、
「日本人」を意識することが多く、
「日本人としての誇り」を胸に世界と戦っています。
日本が大好きなので、
どうにか「日本の医療と看護の未来」を
明るいものにしたいと思って、
わかる人にしかわからない
このブログを書いています(笑)。
1) no-NP
日本に帰ってきて、
最も残念なことは
骨抜きの日本版NP案が完成していたことです。
チーム医療推進会議
知らぬ間に、
NPから特定看護師となり、
特定看護師から特定行為となり、
レントゲンすらオーダーできない制度になってしまいました。
すべての人の意見を聞いていても
結局何も進まないだけで、
利権者に都合が良い内容になるのは
政策決定の常識であり、
革新にはトップの確固たる意思と
実行に導く行動力が不可欠です。
今ではなく
未来を見ないといけないのです。
どんな政治取引があったかはわかりませんが、
もう一度本当の意味で市民のためになる医療
( People Centered Care )
を考える必要があります。
判断材料は
「20年後に本当に人々のためになるか」
だけです。
看護でもくだらない古い人が
「NP反対、ミニドクターだ!」
と吠えていますが、
自分で時代遅れをアピールしてるだけであり、
「恥を知れ!=もっと論文を読め!」
と吠え返してやります。
看護は薬剤や検査を取り入れることによって、
ケア介入の選択肢が広がり、
看護をさらに看護として際立たせ、
人々のQOLを大きく向上させるのです。
アフリカにおけるHIVケアでは
医師とNPの治療成績は変わらず、
むしろNPの方が感染拡大やスティグマ(偏見)など
コミュニティーでの問題を減少させ
アフリカの大学生でも教えられています。
医師と看護師は基盤は「医療」で同じですが、
視点や介入は全く異なり、
決して競合するものではなく、
恊働しシナジーするものなのです。
相乗効果で、お互いにさらに高められるということです。
アフリカでは、その専門性から
重症なHIV陽性者 → 医師
地域のHIV陽性者 → NP
と対応を分けて、
お互いコラボレーションして
人々のQOLを向上させています。
医師にしか
重症HIV陽性者の
薬剤コントロールができないように、
NPにしか
地域で生活するHIV陽性者の
症状をマネジメントしつつQOL向上を行う
はできず、
それぞれが専門的なのです。
「HIV感染を拡大させないように生活するには?」
「地域はHIVから何を学び、
どう社会的な資源を強化させていくのか?」
これは看護を基盤とするNPにしか
できない視点と介入であり、
基本的なARVコントロールや
CD4カウントをする採血や
(HIVによる免疫力低下の指標)
結核などの合併症の有無の確認をする
レントゲンがあるから
成り立つ専門的な仕事なのです。
つまり、
薬剤処方による薬剤コントロール、
採血や画像検査による症状コントロールがあるから
「看護」という人を包括的に捉える視点が
さらに際立ち、多くの人のQOLを高めるのです。
これが世界で起きていることであり、
NP議論の本質なのです。
先進国でもマクロ的な視点では、
「NPは診療費が安いし、
予防的な視点があるので、
安全性に問題なく医療費を劇的下げた」
ことや、ミクロ的な視点では、
「小児アレルギーにおいて、
家でるいぐるみ洗浄機会が増えて、
アレルギーが軽快して、
運動会の参加判断、
給食でのアレルギー配慮など
生活の問題を解決してQOL向上した」
というエビデンスなどがあります。
やっぱり人々に指示されるから
世界各国でNPが制度として
持続し得ているのだと思います。
「NPは看護師だから安全でない」
という感情的な議論がありますが、
同時に「医師だから安全」
という理論も成り立ちません。
安全でないから禁止するのではなく、
安全に行えるためにどうするのか?
という視点での議論が必要だと思います。
また都市部での医療ではなく、
地方での医療を中心としてNPを議論する必要があります。
麻酔医がいなくて
手術が延期されている地域、
高齢者がバスで2時間以上かけて
高血圧の薬をもらいにいく地域、
日本の僻地の医療は思ったよりも
大きな脆弱性を内包しています。
今回の案は、
本当の意味では市民のためにならず、
20年後に評価されるもの
ではないことは明らかです。
個人的には、
キャリアップとしての日本版NPが
骨抜きになったことは、
デキル看護人材が増えた今、
日本の看護全体として、
しいては日本の医療全体として、
大きなマイナスになるであろうことが
一番大きなショックでした。
デキル看護人材が
給料も上がらない、行為も拡大できない
つまり自己実現しにくい日本の看護師として
残り続けることはないでしょう。
しかし、デキル人材には、
今回のNPの骨抜きに引きずられずに、
しっかりと勉強して、
しっかりとキャリアップしていく努力を
続けてほしいと思っています。
デキル人材は世界が求めてるし、
世界レベルで通用する人材になる上で、
日本人であることは
かなり大きな強みになります。
また、
デキル人材が本当に自己実現するために
世界の医療や看護で活躍していける場を
作っていくのが自分の役割だと感じています。
プロジェクト " NEW NURSING "は
まだまだ発展途上ですが、
5年後、10年後に一緒に働いて、
世界で活躍してくれる人材を求めています。
だって、ぼくたちには、
日本だけでなく、
「世界の人々すべてを健康にするには?」
という難問に挑み、解決する使命があるのです。
Made in JAPAN