NEW NURSING

ハワイの疫学者が日本の医療について議論する記事です。

NEXT Health Care

次世代の医療へ

ポストモダン2

そして、ソ連の解体後

冷戦の終焉によって、世界は大きな変化を強要されるのです。


2)歴史の終焉


冷戦において、

自己の正当性を「歴史=エビデンス」をいう形で

担保していた両国が、

ソ連の崩壊によって、冷戦が突然終焉を迎え、

ソ連のみならず、アメリカも路頭に迷ってしまうのです。


それは、冷戦の終焉によって、

アメリカはソ連という相手がいなくなり、

もはや自己の正当性を「歴史=エビデンス」という形で、

証明する必要がなくなり、

エビデンスをもとに歴史を記述する。

という価値までも崩壊してしまったからです。


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もちろん、アメリカの提示する歴史は

客観性を装った恣意であり、

偽物のエビデンスは戦う相手を失った今、

ただ自分の無意味さをさらけだすだけ

となってしまったのです。


つまり、

恣意的に事実やエビデンスを並べても、

何も生まれない時代になってしまったのです。


これがフランシス・フクヤマの言う

冷戦の終焉による「歴史の終焉」です。



歴史の終わり〈下〉

歴史の終わり〈下〉


そして、ここが

「近代=モダン」の終焉でもあり、

「現在=ポストモダン」の始まりとなります。


では、

歴史が終焉し、自分の生存根拠を失った今、

人々は何を頼りに生き、

どう自分の生存証明をすれば良いのでしょうか?


ここで世界の価値が大きく逆方向に振れます。

そうです、

「主体的な語り=ナラティブ」

という概念が意味の担い手となります。


歴史が終焉した今、

相手に対してエビデンスを示すのでなく、

自分の生を自分自身で物語ることで、

自らの生存証明とするという時代が到来したのです。


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3)ナラティブ


ここで、学問としての看護も

様々な因子から急浮上していきます。


冷戦中に医学モデルを強要され、

エビデンスや量的研究だけでは看護を記述できないと

その違和感を感じていた看護研究者たちが、

当時注目されていたターミナルケアから

# 質的研究の妥当性

# 主体的な価値

# ナラティブという方法

という現在の重要な研究方法の基礎をつかみかけていたのです。


ここで歴史の終焉を迎え、

また世界が物語を求め、

時代が新たな看護概念を後押しして、

「質的研究」と「物語=ナラティブ」

という価値が確立され市民権を得ていきます。


時代と看護がシンクロした瞬間です。


そして、トマス・クーンのいう

パラダイム転換」が劇的に起こった瞬間でした。


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欧米では90年代前半の出来事ですが、

日本では00年前頃から広まり、

YUITOが学生時代もこの頃であり、

均一化された日本人集団にありがちな

「質的研究とナラティブ」をしない者は

新しい看護研究者にあらずといった雰囲気があり、

強い違和感を感じた事を覚えています。


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4)大きな物語から小さな物語へ


また別の視点でこの変化を捉えると

大きな物語から小さな物語へ」

ということもできます。


冷戦前や冷戦中は、

政治思想や国家という大きなシステムが

人々をコントロールして、幸せを決定していました。


日本でいう高度経済成長のイメージで、

国家の繁栄が市民の幸せであり、

テレビや冷蔵庫を買うという

「市民みなが同じ幸せの価値」

を追っていた時代であり、

システムが物語を決め、

市民みなが同じ物語を共有しているので、

大きな物語の時代」と言います。


ジョン・オーウェンの1984における

ビックブラザーであり、

医師が医療や健康を決める時代でした。


一九八四年 ハヤカワepi文庫

一九八四年 ハヤカワepi文庫


しかし、冷静の崩壊によって

政治的思想や国家の概念が薄れ、

市民みなが同じ幸せの価値を目指すのではなく、

ナラティブの概念に従い、

「市民がそれぞれ

 自分で自分の幸せや物語を決めて、

 それぞれが自由にそれを目指す時代」

になったのです。


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それぞれの人がそれぞれの価値で、

自分で「自分の人生=物語」を決め、

多様性が生まれたという意味で

「小さな物語の時代」と言います。


物語は大きなひとつの綱から

多様で細かく絡み合う絹糸となったのです。


小さな個人の物語の集合の時代である

ポストモダン」到来したのです。


村上春樹1Q84のリトルピーポーであり、

市民や看護師が医療や健康を決める

多極化した時代となりました。


1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1


1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2


1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3


ポストモダン(現代)をまとめると


冷戦の終焉 = 物語

      = 主観性

      = ナラティブ

      = 質的研究の確立

      = 小さな物語

      = 価値の多様性


という構造になります。


この流れの詳細が書かれた

ポストモダンを捉える機転となる

先鋭社会学者の本であり、

一読をおすすめします。


ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)


では、

このポストモダンが孕む危険性は一体何であり、

現代への示唆は何なのでしょうか?


NURSING = BRAIN

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