NEW NURSING

世界で活躍する疫学者が日本の医療について議論する記事です。

NEXT Health Care

次世代の医療へ

ポストモダン1

今、医療や看護が一体どこに向かっているのか?


価値(大切だと思われているもの)は

時代によって大きく左右され、

時代や流行の表層だけでなく

その流れの深いところにある「うねり」を

つまり「時代の本質」を捉えていくことは、

先の見えない今を生きる上で、

必要不可欠な視点となっています。


今回は、

ポストモダン」という社会学のクラシックな視点から

「医療と看護の変化」と「人生の自己決定」を

ひもといて見たいと思います。


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私YUITOが学生時代だった2000年ごろは

看護がナラティブに大きく揺れ、

質的研究が脚光を浴び、

「これからは量ではなく質だ!」と

質的研究の脅迫のようなものまで

感じる時代でした。


しかし、2010年すぎの現在は、

時代はまた逆に揺れ戻るもので、再度

「論文と量による証明によるエビデンス

に焦点が当たっています。


もちろん、

「ひとの語りと物語に焦点を置く主観的なナラティブ」

「人間一般の反応に焦点を置く客観的なエビデンス

は両方大切な概念であり、

現代に生きる医療や看護を基礎とする人材は

この両方を極めなければ

質の良いの医療やケアを提供できない時代になりました。


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質的研究や量的研究、エビデンス、ナラティブについては

まだ概念が固定化されていない部分がありますが、

今回は定義の厳密性よりもその流れに焦点を当てるために

概念をざっくりとシンプルにして記述しています。

(よく批判が来るので、面倒ですが書いて置きます。)

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今回はこの

# 主 観 と 客 観

# 質的研究 と 量的研究

# ナラティブ と エビデンス

という対立していた概念が


どのような歴史の中で生まれ、

どのような時代のうねりの中で、

医療や看護の発展と相重なり、

大きく揺れ動きつつも統合させて行ったかという

社会学的な話をしたいと思います。


やや哲学的な内容で大学院レベルですが、

一気に世界と看護を俯瞰できるようになる歴史ですので、

がんばって着いて来てくれると幸いです。


もちろん、

現代の最先端看護を生きるみなさんは

この「主観的なナラティブ」と

「客観的なエビデンス」の両方を行き来できる

絶妙なバランス感覚が求められています。


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1)モダンの時代


まず話は冷戦まで遡ります。

そうです、簡単に言えば、

80年代のアメリカとソ連の戦いの時代です。


この時代は「エビデンス」という客観性に

価値(大切だと思うもの)を置く時代でした。


この時代の価値は何かというと、

「自分のイデオロギー(政治的思想)の正当性を客観的に証明すること」

になります。


いわゆる西であるアメリカなら

「自由と資本主義がいかに世界を繁栄させたか」

を物証や事実を通して、

客観的な内容としての「歴史」を提示して、

自分を思想の正当性を証明して、

世界から承認されたいわけです。


一方、ソ連なら

「資本主義がいかに失敗であり」

共産主義が次の時代の勃興となりえるか」

を同様に

「客観的に歴史として」証明したいわけです。


要するに、

古来からの物証や事実を「客観的に」記述することによって、

双方、自分たちがいかに「歴史的に」正しいかを、

証拠(=エビデンス)をもって立証したかったのです。


もちろん、

ここのでの「歴史」や「客観性」とは

真の意味での客観性ではなく、

自分の政治的思想が立証しやすいように

物証を並び替え、事実の解釈を変え、

それぞれがそれぞれの歴史を創り、


「自分たちの都合よい主観」を

無理矢理、歴史という言葉を利用して

「客観性」に仕立てあげたのです。


中国や韓国と日本の歴史認識が異なりように、

客観的だと言われる歴史は、

政治的な思想と大きく関わっており、

実は客観性という布をまとった主観なのです。


つまり、

いろいろ「エビデンスらしきもの」を集めてきて、

自分たちの政治的思想が正しいと証明し合ったのです。


これが、冷戦の「歴史の時代」であり

その影響を受けたのが、「エビデンス」という言葉です。


英語では、

現在でも旅行に行ったときに写真や日記を

EVIDENCEという言葉で表現します。

根拠や証拠という意味ですね。


この時代を、今(現代)から見て、

「近代=モダン」といいます。

エビデンス」がものを言った時代です。


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そして80年代は、医学が高度化され、

看護がやっと学問として認知された時代なので、

この時代の大きなうねりを受けて、

医療や看護でも「エビデンス」重視の

「客観性」という概念が重要となり、

根拠や数値という「一般化可能」な視点が

医療でも価値が置かれるようになりました。


まさに、EVIDENCE BASED MEDICINEの始まりです。


さらに時代のうねりは、

「市民の生活や幸せ、価値」にも

大きな影響を与えます。


この冷戦の時代には、

人々がそれぞれ自分の人生を決めるというよりも、

冷戦構造や政治的思想、国家が創った

「成長と国家や政治思想の繁栄」という

大きな物語」が市民に与えられ、

その物語を市民がそれぞれ丸呑みして、

みなが同じ方向を向いて、

「同じ価値と同じ幸せを目指して生きる」

というモダンの時代でした。


システムが創った物語を、

市民がそのまま借り受けて、

みながその物語の中で生きる

大きな物語の時代」です。


日本でいう高度経済成長です。

みんなと同じ価値や幸せでよいので、

幸せの定義で悩むことなく、

ただみんなで一生懸命がんばれば良かった時代です。


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ダン(近代)をまとめると


冷 戦=歴 史

   =客観性

   =エビデンス

   =EBMの始まり

   =大きな物語

   =市民が同じ価値


という構造になるのです。


ただ、この冷戦構造は、

ソ連の自己崩壊によって終焉し、

「客観的な歴史」と「エビデンス」を重視する世界が

まったく逆の方向に揺れ動いていくのです。


ANTI-SYSTEM

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