NEW NURSING

ハワイの疫学者が日本の医療について議論する記事です。

NEXT Health Care

次世代の医療へ

ポストモダン1

今、医療や看護が一体どこに向かっているのか?


価値(大切だと思われているもの)は

時代によって大きく左右され、

時代や流行の表層だけでなく

その流れの深いところにある「うねり」を

つまり「時代の本質」を捉えていくことは、

先の見えない今を生きる上で、

必要不可欠な視点となっています。


今回は、

ポストモダン」という社会学のクラシックな視点から

「医療と看護の変化」と「人生の自己決定」を

ひもといて見たいと思います。


f:id:yuito33:20120928230206j:image:w640


私YUITOが学生時代だった2000年ごろは

看護がナラティブに大きく揺れ、

質的研究が脚光を浴び、

「これからは量ではなく質だ!」と

質的研究の脅迫のようなものまで

感じる時代でした。


しかし、2010年すぎの現在は、

時代はまた逆に揺れ戻るもので、再度

「論文と量による証明によるエビデンス

に焦点が当たっています。


もちろん、

「ひとの語りと物語に焦点を置く主観的なナラティブ」

「人間一般の反応に焦点を置く客観的なエビデンス

は両方大切な概念であり、

現代に生きる医療や看護を基礎とする人材は

この両方を極めなければ

質の良いの医療やケアを提供できない時代になりました。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

質的研究や量的研究、エビデンス、ナラティブについては

まだ概念が固定化されていない部分がありますが、

今回は定義の厳密性よりもその流れに焦点を当てるために

概念をざっくりとシンプルにして記述しています。

(よく批判が来るので、面倒ですが書いて置きます。)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


今回はこの

# 主 観 と 客 観

# 質的研究 と 量的研究

# ナラティブ と エビデンス

という対立していた概念が


どのような歴史の中で生まれ、

どのような時代のうねりの中で、

医療や看護の発展と相重なり、

大きく揺れ動きつつも統合させて行ったかという

社会学的な話をしたいと思います。


やや哲学的な内容で大学院レベルですが、

一気に世界と看護を俯瞰できるようになる歴史ですので、

がんばって着いて来てくれると幸いです。


もちろん、

現代の最先端看護を生きるみなさんは

この「主観的なナラティブ」と

「客観的なエビデンス」の両方を行き来できる

絶妙なバランス感覚が求められています。


f:id:yuito33:20120929224041j:image:w640


1)モダンの時代


まず話は冷戦まで遡ります。

そうです、簡単に言えば、

80年代のアメリカとソ連の戦いの時代です。


この時代は「エビデンス」という客観性に

価値(大切だと思うもの)を置く時代でした。


この時代の価値は何かというと、

「自分のイデオロギー(政治的思想)の正当性を客観的に証明すること」

になります。


いわゆる西であるアメリカなら

「自由と資本主義がいかに世界を繁栄させたか」

を物証や事実を通して、

客観的な内容としての「歴史」を提示して、

自分を思想の正当性を証明して、

世界から承認されたいわけです。


一方、ソ連なら

「資本主義がいかに失敗であり」

共産主義が次の時代の勃興となりえるか」

を同様に

「客観的に歴史として」証明したいわけです。


要するに、

古来からの物証や事実を「客観的に」記述することによって、

双方、自分たちがいかに「歴史的に」正しいかを、

証拠(=エビデンス)をもって立証したかったのです。


もちろん、

ここのでの「歴史」や「客観性」とは

真の意味での客観性ではなく、

自分の政治的思想が立証しやすいように

物証を並び替え、事実の解釈を変え、

それぞれがそれぞれの歴史を創り、


「自分たちの都合よい主観」を

無理矢理、歴史という言葉を利用して

「客観性」に仕立てあげたのです。


中国や韓国と日本の歴史認識が異なりように、

客観的だと言われる歴史は、

政治的な思想と大きく関わっており、

実は客観性という布をまとった主観なのです。


つまり、

いろいろ「エビデンスらしきもの」を集めてきて、

自分たちの政治的思想が正しいと証明し合ったのです。


これが、冷戦の「歴史の時代」であり

その影響を受けたのが、「エビデンス」という言葉です。


英語では、

現在でも旅行に行ったときに写真や日記を

EVIDENCEという言葉で表現します。

根拠や証拠という意味ですね。


この時代を、今(現代)から見て、

「近代=モダン」といいます。

エビデンス」がものを言った時代です。


f:id:yuito33:20120930130127j:image:w640


そして80年代は、医学が高度化され、

看護がやっと学問として認知された時代なので、

この時代の大きなうねりを受けて、

医療や看護でも「エビデンス」重視の

「客観性」という概念が重要となり、

根拠や数値という「一般化可能」な視点が

医療でも価値が置かれるようになりました。


まさに、EVIDENCE BASED MEDICINEの始まりです。


さらに時代のうねりは、

「市民の生活や幸せ、価値」にも

大きな影響を与えます。


この冷戦の時代には、

人々がそれぞれ自分の人生を決めるというよりも、

冷戦構造や政治的思想、国家が創った

「成長と国家や政治思想の繁栄」という

大きな物語」が市民に与えられ、

その物語を市民がそれぞれ丸呑みして、

みなが同じ方向を向いて、

「同じ価値と同じ幸せを目指して生きる」

というモダンの時代でした。


システムが創った物語を、

市民がそのまま借り受けて、

みながその物語の中で生きる

大きな物語の時代」です。


日本でいう高度経済成長です。

みんなと同じ価値や幸せでよいので、

幸せの定義で悩むことなく、

ただみんなで一生懸命がんばれば良かった時代です。


f:id:yuito33:20120928231446j:image:w640


ダン(近代)をまとめると


冷 戦=歴 史

   =客観性

   =エビデンス

   =EBMの始まり

   =大きな物語

   =市民が同じ価値


という構造になるのです。


ただ、この冷戦構造は、

ソ連の自己崩壊によって終焉し、

「客観的な歴史」と「エビデンス」を重視する世界が

まったく逆の方向に揺れ動いていくのです。


ANTI-SYSTEM

f:id:yuito33:20120411173602j:image:w640