NEW NURSING

世界で活躍する疫学者が日本の医療について議論する記事です。

NEXT Health Care

次世代の医療へ

沖縄と看護4

世間のイメージでいうと

「沖縄」といえば「離島医療」

を思い浮かべるでしょう。


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ドクター・コトーを始めとするマンガやドラマで

離島医療が有名になり、自分自身も

「沖縄で離島医療を勉強していたんですか?」

とよく聞かれます。


もちろん、大学時代には

沖縄のほぼ全部の離島診療所をまわり

僻地医療の良さを体感することができました。


離島へ行くためには

沖縄県補助金を使ったり、

(当時は離島医療人材支援に積極的でした)

バイトで小銭を稼いでは、

離島診療所に飛び込み実習をしていました。


かの有名な沖縄の離島にしかない制度である

元日本軍衛生兵であり

現在は一代限り医師と同じ開業が認められている

「医介補」

にも診療所でお世話になり

毎日レクチャーを受けていました。


とりあえず目的の診療所に

「勉強しに行くからさー」と電話し

安いフェリーにリュックひとつで飛び乗り、

白衣・ステート・ノート・2万円を握りしめ

ちいさな島に乗り込んでいきました。


大学の実習でも離島に行く機会が多く、

沖縄の人でも行かない果ての離島まで

元気に勉強&遊びに行きました。


なつかしく、良い思い出です。

まさに原点ですね。


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朝は早く起こされて散歩し、

おじいの医師と島のおばさん看護師と

せっせと診療所を掃除して、

朝9時ごろに外来が始まり、

「ひまだから診療所に散歩に来たさ。」

と言うおばあに、まったり高血圧の内服を処方したり、

ハリセンボン(ふぐ)にかまれて指がかけたさー。」

という海人(漁師)の指を縫合していました。


そして、昼の11時くらいには早くも外来は終わり、

昼ご飯を食べてた後におじいの医師に

「前の浜で釣りでもするか」と言われ

診療所の前で一緒に釣りをして、

しまいには自分は泳いで昼寝してという

ありえない実習?をしていました。


涼しくなった夕方から往診が始まり、

島の中を歩いて歩いて訪問診療をして、

観光ホテルでの観光客の急変や

自宅療養のターミナルケア

まったりと看にいくスタイルは

「まさに理想で医療の原点だ。」

と非常に感心した記憶があります。


一番困ったのが自分が男性看護師であり、

診療所に来る高齢者や島民に

「医師じゃなくて、看護師ですよ。」と言うと

不思議そうな顔をされて、

那覇ではそんなことがあるのかい」と言われ

なかなか理解されない状況でした。


しかし、沖縄独自の文化で看護師ではなく

「ぼくは公看ですよ。最近は男もなれるんですよ。」

というと高齢者が強くうなずき

「そうかい、そうかい。

 昔は本当に公看さんにお世話になったよ。」

と一瞬で理解して大きな感謝をくれるのでした。


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今回はこの「公看」である

沖縄の特殊な戦後保健事情であり

現在のNPのさきがけとなった

「公衆衛生看護婦」(略して「公看」)

について考察していきたいと思います。


熾烈を極めた沖縄戦を終えて

戦後はアメリカ統治になった沖縄では、

GHQが沖縄の保健・看護も強く監督し

アメリカ式医療が行われるようになりました。


ちなみに

現在、看護の最高学府である聖路加看護大学も

GHQの東京における保健・看護の事務局が

聖路加に置かれたことにより

GHQからアメリカ式の知識が落とされ、

最高学府として発展してきたのです。


沖縄から聖路加へと看護を学んだYUITOは

やたらとGHQ関連の話を聞く機会が多く、

GHQ式のリベラルな看護教育の影響を受けて

日本の看護に反発を抱くようになりました。


最近はこの「看護における歴史」が注目され、

特にGHQが日本看護に与えた影響を

看護歴史学会等が分析しています。


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話を戻すと、沖縄はご存知とおり、

有人離島が38個と多くの離島を抱え、

また、ぞれぞれの島が非常に遠いことが

(例えば那覇から石垣島までは

 東京と大阪間より遠いのです!!)

とても大きな課題でした。


そこでGHQは主な戦略を

「医療資源の効率化」と「予防保健」と設定して

アメリカ的な視点で

地域の基本的な保健・医療を担うのは

(つまりプライマリーヘルスケアの担い手)

看護師しかいないと考えて

効果的かつ効率的な「看護師の役割拡大」という方法で

アメリカ式医療の沖縄での具体化という

独自の看護教育と看護配置が展開されたのです。


また過酷な沖縄戦により

「ほとんどの医師が戦死し医師が残っていなかった」

という事情もあります。


では実際NPに近い公衆衛生看護婦は

どのようなシステムだったのでしょうか?


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1) 教育


「公衆衛生看護婦」とは現在の「保健師」であり、

看護師習得後に1年間の高等教育を行っていました。


那覇の公衆衛生看護学校における保健師教育は、

かなり大変で過酷であったそうで、

「離島・僻地の地域をひとりで見て

 かつ初期治療を実施できること」

を目的として教育されていたようです。


学校で講義の後に

離島・僻地に実習を組まれ

数ヶ月にわたって地区担当となり

即戦力となる力量をつけたそうです。


YUITOの地域実習(保健師実習)では、

昔に「公衆衛生婦」として活躍していた方々が

当時の保健師のお偉いさんであり、

実習の指導者であり、またなんと大学の教員であり、

様々なナラティブを聞きました。


疫学が専門の自分より疫学に詳しく

当時は、離島・僻地でランダムサンプリングをして

自力で母子保健などのデータを構築していた姿勢には

本当に本当に尊敬し、プロの姿勢を教わりました。


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2) 駐在制度


卒業すると沖縄県の職員となり

離島・僻地に赴任して

担当の地域に駐在するので、

「公衆衛生看護婦駐在制度」

と呼ばれるシステムがありました。


何も昔の制度ではなく、

地域保健法が沖縄に適応される1994年まで

続いていました。


地域に赴任した公看さんたちは

赤い自転車に乗って地域を周り

保健活動に徹したそうです。


特にマラリア撲滅に

看護の視点が生かされており、

公看さんたちの成果と言われています。


当時の離島ではマラリアによる死亡率が高く

今でも西表島ではマラリアによって壊滅した

集落の跡を見る事が出来ます。


公看さんたちは

まず蚊を減らす環境整備を行い

また予防行動を促す啓蒙活動を繰り返し

さらにマラリア症状があるものには

迅速に投薬してマラリアを治療したのです。


まさに看護の視点での「環境・人・疾病」を

要素として包括した地域活動ですね。


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当時は簡単な診断や投薬、縫合も行っていたそうで、

そのコミュニティーのプライマリーヘルスケアを担う

現在のNPに近い看護師が誕生したのです。


身体も診れて、さらに地域も看れるなんて

本当に理想的な看護であり、

住民との信頼を感じるプライマリーヘルスケアですね。


アメリカという思考が

戦後の沖縄と混じり合い

理想へと昇華した瞬間です。


他にも麻酔をかけていた伝説や

腰麻で帝王切開した伝説まで

あげたらきりがない実力です。


現在のNPを遥かに凌駕する実力であり、

ここまで疾患と地域を同時に見れる医療者は

世界中探してもそういないでしょう。


医療資源がない当時の沖縄ではそうせざるを得ない

人がばたばた死んでいく状況だったのです。


「誰がやるかより、何をやるか」という視点が

公衆衛生看護婦を生み出し、看護で沖縄を救ったのです。


現在のNP議論もこの事実に眼を向けて、

それぞれの利権を守ることではなく、

住民にとって何がよいをか中心に議論して

NPの法制化をすすめるべきだと思います。


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3) 国際看護への発展モデル


今までの世界の公衆衛生の歴史において

もっとも保健のカイゼン

最も「迅速でかつ大きい」地域は

そう、沖縄なんです!


公衆衛生を専門とする外人でも知っています。

世界で最も成功した保健カイゼンです。


戦後の食料もない、家もない

裸足で歩き、マラリアだらけの

現在のアフリカよりよっぽど悪い環境から

「たったの20年で」

世界最高峰の日本本土の保健レベルまで

沖縄の公衆衛生は発展したのです。


これだけ劇的に保健がカイゼンした事例は

沖縄以外にはなく

アフリカを含む発展途上国すべてが

「戦後沖縄の保健」を

目指しているといっても過言でないです。


その一番の原因となったのが、

「公衆衛生看護婦」の活躍と駐在だと考え、

また沖縄と国際看護がつながる訳です。


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そして、これが自分の研究の核となっています。


公衆衛生を専門とする外人に沖縄の話をすると

「それを英語でまとめた教科書やモデルはどこにあるのか?」

と聞かるのですが、実際にはまだ研究されておらず、

「この沖縄独自の公衆衛生看護婦駐在制度を抽象化して

 発展途上国に適応できるカタチで英語のモデルとして示す」

ことが自分の課せられた運命であると考え、

ゆっくりと地道に研究を続けています。


特に後方支援システムが秀逸であり、

「指導教官が離島をまわる出張講義」や

「数年ごとの地域のローテーション」など

教育的な視点と継続的な視点がうまく調整され、

少ない人材で最大の効果を提供していたことが

成功の要因ではないかと仮説を立てています。


裸足で歩いている人に破傷風ワクチンを打ち、

靴をはかせ、学校教育を促し、トイレを作り、

疾患でなく、生活から地域全体を変えた視点は

現代看護に忘れられたものを思い出させてくれます。


このような事実から、島のおばあたちも

「公衆衛生看護婦」である「公看」たちを

こころから尊敬し、感謝して

その後輩であるYUITOにも

たくさんのごちそうやオリオンビール

そして笑顔をくれるのでした。


あまり教科書には書いていない

忘れ去られた看護の実力でした。


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しかし、残念なことに

都市部に合わせた地域保健法の試行によって、

公衆衛生看護婦駐在制度は終了となり、

沖縄にも全国統一の保健所・市町村システムが

適当されたのです。


もちろん、ローテーションがなくなり、

各市町村ごとでの保健師採用となり、

ちいさな島内に固定された保健師は定着することが少なく

現在大きな問題となっています。


東京を模範とするシステムを

無条件に地方に適応することは

地方では大きな弊害を産むのです。


中央集中の保健システムではなく、

地方が保健システムを自己決定できるシステムを

再構築することが高齢化が進む日本全体に

公衆衛生的にインパクトがあり、

さらに良い保健ができると確信しています。


早くNPの制度が法律的に認められ、

離島・僻地の保健・医療が

さらによくなることを望んでいます。


看護の実力!

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