読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

NEW NURSING

世界で活躍する疫学者が日本の医療について議論する記事です。

NEXT Health Care

次世代の医療へ

沖縄と看護2

沖縄について書いていると

だんだんと沖縄に帰りたくなってきますね。


沖縄には古代日本の信仰がいまだに根付いており、

「この世とあの世の境目」がとても曖昧で、

異空間に紛れ込んだ錯覚を覚える時もあります。


そんな沖縄の信仰である「ユタ」の話から

「沖縄と看護」を考えていきたいと思います。


古代琉球の人は、

人間に恵みを分け与えてくれ、特には獰猛な振る舞いをする

海を筆頭とする自然に対して敬意を払い、

自分のルーツである先祖とともに

信仰の対象としていました。


この現象は何も沖縄独特のものではなく、

本州の熊野や九州などでも

偶像ではない自然そのままの岩や森などが

信仰の対象とされており、

「自然」と「先祖」を参拝して敬いつつ、

かつ「たたり」として恐れる

日本古来の独特文化を形成しているのです。


f:id:yuito33:20120416220046j:image:w600


この言語化されない日本の信仰を表象化しているのが、

宮崎駿の「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」でしょう。


f:id:yuito33:20120416220045j:image


よく海外では

「YUITO、お前の信仰はなんだ?」と聞かれるので、

「日本は自然にたくさんの神々(Gods)が宿ると考え、

 さまざまな自然に向かって拝んでいるんだよ。」

と答えると、外人も日本独特の信仰をよく理解してくれます。


ただ、それらの信仰は現在社会では不可視化されているので、

まだ具体的な信仰と風習として継続し可視化している「沖縄」が

現在では独自の文化として捉えられているのです。


沖縄では特に、

「女性」がカタチのない自然の神々に

接近できる唯一の存在となっており、

島の祭りでも重要な役割を担います。


久高島の「イザイホー」はその頂点でしょう。


f:id:yuito33:20070724181506j:image


YUITOも実習で僻地の島に行くと

「ここからは女性しか入れない礼拝所なんだ。」

と強く説かれた記憶があります。


その沖縄では「ユタ」という女性を中心とした

信仰とケアのシステムが今でも根付いています。


それぞれの集落に悩みを相談して助言をくれる

「おばあ=ユタ」がおり、

それぞれの家で何か問題があれば、

家の女性がこの「ユタ」に相談に行くのです。


女性はユタに対して、実際に何が問題で悩み苦しいのか

具体的なことは言わずに、

「胸がはりさけそうです。」

「つらくて夜も眠れません。」

などとその感情を述べて相談していきます。


ユタは神が降臨(カミダーリ)した人物なので、

Trans-personal(深い意味での人間の相互作用)によって

具体的に何が問題かを伝えられていないにも関わらずに、

その具体的な問題に察知をつけて、

具体的な解決方法などを助言するのです。


ここらへんの関係性はまさに

ターミナルケアで適応する「マーガレット・ニューマン」の看護論

に近いと思います。


変容を生みだすナースの寄り添い―看護が創りだすちがい

変容を生みだすナースの寄り添い―看護が創りだすちがい


そして、ユタはその女性に

「あの海にお参りに行きなさい。」

「魂(マブイ)が落ちているから家族で拾いに行きなさい。」

という解決策を示し、家族で実行するのです。


ユタは、具体的な解決策というよりは

症状マネジメントに近いカタチで

行為により家族や地域の再構築を促し、

根本的な問題解決よりもケアに近いものを提供しているのです。


実際、世の中で解決できる問題なんで2割程度で、

残りの8割はその問題を抱えながら、

その「苦しみや悲しみ」を抱えながら

どう生きて行くかが本質的な問いなのですから。


YUITOも大学時代に授業をさぼって、

体育館でスポーツばかりしていたら、

週に2回も骨折したので、

友人に「ユタ」にムリヤリ相談されに連れて行かれて、

「日々の行いが悪い。(ごもっとも!)」

「海にお祈りして、ご飯をしっかり食べなさい。(確かに!)」

との助言をもらい、友人と海へ行き、

帰りに言われた沖縄料理を食べてきた経験もあります。


病気に関して、

沖縄の人はみな、本当に「ユタ」に相談し、

病院では手術で乳がんが治ったおばあが、

「医者にも感謝だけど、

 ユタのおかげでがんが治ったさ。」

と言って、ユタに感謝をささげながら、

病院を退院していきました。


沖縄には病気に関する

「医者半分、ユタ半分」という有名な格言があり、

「疾患が治る」ということだけでなく、

「病いを癒す」というスピリチュアルな部分を

とても大切にし「病い」に意味を見いだします。


それが、真の意味での沖縄の良さであり、

現在医療や看護がもっと見習うべき姿勢だと思います。


f:id:yuito33:20120416220044j:image


では、「ユタ」にはどうやってなるのでしょうか。


古い文献によると(諸説ありますが)、

まず、その集落にいる「ユタ」は

その集落内で若い女性のヒステリーが起きると

数年自分がその子を引き取り、一緒に暮らし、

そのヒステリー(おそらく一過性の精神疾患)の女性を

ゆっくりとケアしていきます。


そこで「ユタ」は

その子の「苦しみや悲しみ」すべてを受け止めるのです。


なぜなら、その「ユタ」も

若いころに同じヒステリーとなり、

同じような苦しみと悲しみを経験し、

「ユタ」に引き取られてケアされた経験を持つからです。


そうなんです。

「継承」されるシステムなのです。


この若いヒステリーを起こし、ケアされた女性が

「ユタ」に「あなたがユタになりなさい」と言われて

その集落の次のユタとなるのです。


つまり、苦しみや悲しみを経験した人が

コミュニティーからケアを受け、

さらにその経験を生かしてケア提供者となり、

コミュニティー全体をケアしていくのです。


「弱さをケアへと展開していく」

そして、

「そのシステムをコミュニティー内で継承していく」

という「ユタ」のシステムは本当にすばらしく

コミュニティーをひとつの有機的な人間と捉える

コミュニティー・アズ・パートナー理論を適応すると

「自己治癒するコミュニティー」という概念が

自然と立ち上がってきます。



つまり、コミュニティーには本来

システムとして病いを受け入れ、

さらに、それを資源として

コミュニティー自体が自分自身をケアしていくという

自己治癒する能力が備わってるのです。


特に「精神疾患」という

コミュニティーケアが不可欠な病いは、

人間が長い長い年月をかけて、

「ユタ」を象徴とするコミュニティーが

精神ケアを内包するシステムを構築したのです。


f:id:yuito33:20110927113030j:image


そして、さらに驚くことに、トリハダが立ちますが、

アフリカにも「ユタ」と同様の自己治癒システムがあり、

未だにコミュニティーの精神ケアを提供しているのです。


しかも

「ユタ」とまったく同じシステムで弱さをケアへと転換し

そのシステムをコミュニティー内で継承しているのです。


アフリカでは、集落の端の方に

他の家と違う、壁に様々な模様を書いた家があり、

そこに高齢の女性である相談役がいるのです。


もちろん、アフリカでも日本でも

都市化により旧来のコミュニティー崩壊が進行して

コミュニティーの自己治癒能力が低下し

今日の精神科疾患罹患率の上昇を招いたのではないか

と考察しています。


日本、沖縄、そしてアフリカをつなぐ

コミュニティーの崩壊と精神ケアにおけるケア提供不足という事実。


まさに「神話の構造」と同じであり、

レビィ=ストロースの構造主義

いかに論理的整合性をもっているかが明らかとなります。


野生の思考

野生の思考


しかし、きっと

コミュニティーの再生や再構築がしっかり行われれば、

コミュニティーが本来持つ自己治癒能力が再度甦り、

精神ケアを提供できるシステムが構築可能であると信じています。


「コミュニティーシステムとして

 継承からケアをつむいでいく」

「弱さを強みに変えて、

 ケアを提供していく」


今の日本と現代医療が、

そして看護が戻るべき原点が「沖縄」にあります。


非常に興味深い「ユタ」の話でした。


みなさんの地域の文化と看護は、どのような関係にあり

どんな文化が看護の本質を照らし出しているのでしょうか?


Professional

f:id:yuito33:20120411173602j:image