沖縄と看護1
今回は非常に内省的なことを書きたいと思います。
自分の原点であり、自分の思いです。
あまり他人の学習にはならないと思いますが(笑)。
YUITO はモノ好きから
「沖縄」で看護の基礎教育を受けて大学を卒業したのですが、
「沖縄の文化から看護と人間の本質を学んだ」
と今でも強く確信しています。
まず何より、沖縄という島で
1人の人間として成長できたし、
今の看護に対する姿勢や思考の基礎を
「沖縄」に築いてもらいました。
特に、沖縄という異文化に飛び込んでいった経験は
今の国際保健で世界の異文化と恊働する原点となっており、
沖縄には本当に感謝してもしきれません。
沖縄に対して感謝の示すとともに
「沖縄と看護」をいうテーマで
何回か書いていきたいと思います。
自分の原点はいつも「ひめゆり」にあります。
感傷的だった思春期と弟がしょうがい児ということが重なり、
「人間の苦しみと悲しみ」に導かれて、
「沖縄戦」ということが当時最大の関心事となりました。
いくつものガマに入り、書籍を読みあさり、
沖縄戦の残酷さと無意味さを知り、
しかし底抜けに明るい沖縄に
何か自分のアイデンティティーをつかむきっかけを
求めていたのかも知れません。
大学では日々ナイチンゲールに関する授業があり、
「看護とは、生命力の消耗を最小にするよう生活過程を整える」
という看護の定義を強く疑問に思い、
沖縄にも馴染めずにつらい毎日を送っていました。
たまたま、やることもない週末に
バスを乗り継いで南へ向かい、
「ひめゆりの塔」へと足を運びました。
ご存知のとおり「ひめゆり」とは
那覇の学校に通う女学生たちを
短期間で「看護要員」として教育し、
戦火の中で「看護」を提供する人員とした
「ひめゆり学徒隊」のことです。
ひめゆり学徒隊が戦火の中
解散したガマが沖縄南部にあり、
ひめゆりの塔として残り、
現在はひめゆり平和祈念資料館となっています。
ひめゆり平和祈念資料館
資料館に足を踏み入れると
「自分の全人格を揺さぶられる」とは
まさにそのことでした。
たった数ヶ月の看護教育しか受けていない10代の女子たちが
砲弾を中を駆け巡り、いのちを落としながら、
道具もない中で必死に「看護」を行い、
負傷兵を殺す青酸カリを渡されても悩みながらこっそり捨て、
それでもなお、みな戦火に追われ死んで行く
言葉にできない状況を知りました。
いったい「看護」とは何であるのか。
その本質がここにあると感じました。
なぜ戦火の中にいた看護師による看護ではなく、
知識も技術もモノも持たない
「ひめゆりの学生が行った看護」が
60年経た当時も「本当によい看護だった」と
沖縄の島で言い伝えられていたのか。
その理由が本質を示していると考えます。
そして、
ひめゆりたちの個々の死が表象されている部屋で
「ひめゆりが受けた看護教育」を
自分が今引き継いでいる事実に
とてつもない衝撃を受けました。
血圧計や注射器、ましてや基本的な食料までもがない中で、
なぜ「本当にすばらしい看護」ができたのか。
ここに新たな看護の定義があります。
ひめゆりたちは何もできないことを自覚し、
ただ負傷兵とともに時間を過ごし、
苦しみや悲しみの前にひれ伏し、ただただ
そこにいるという存在の看護を展開していたのです。
それはきっと、
道具やものを使う世間一般的な看護ケアではなく、
ひめゆりの「ともにある」という姿勢そのものが、
60年来経っても語り継がれる良い看護を創りあげた
看護の本質であり、看護の定義なのではないかと
と結論するに至りました。
何もなく、ただ死を待つという極限の状況において、
余計なものがすべてそぎ落とされて
最後の残った看護の本質が
「ともに在る」ということだったのです。
そこではもはや
「生命力の消耗を最小にするよう生活過程を整える」という
ナイチンゲールの看護定義はまったく意味をなさず、
それより深く高度な「看護の本質=定義」の存在を知りました。
ひめゆりたちは何もない状況で
「生命力の消耗を最小にすること」
すらできなかったのです。
しかし、事実として本当に良い看護が
確かにそこに存在しました。
この逆説から
「ナイチンゲールの看護の定義は依然不完全であり、
自分自ら、新たな看護を定義していく必要がある。」
と確信し、今の道を進む原点となったのです。
「いのちとは何か」
「苦しみとは何か」
「悲しみとは何か」
そして
「看護とは何か」
沖縄で同じ看護を学ぶものとして、
ひめゆりが自分に投げかけた
最初で最後の人生をかけて考察すべき
究極的な問いです。
これが今自分が、
この答えを求めて、今も世界中をふらつき、
日本の甘い看護に対して
強い憤りを覚えている原点となっているのです。
とてもナラティブな「沖縄と看護1」でした。
ただ今でも沖縄の看護に
世界の健康問題の解決策があると確信しています。
ぜひみなさんも沖縄に行った際には
「ひめゆりの塔」に足を運び、
「看護とは一体何なのか」考えてみて下さい。
感想お待ちしております。
沖縄から看護を考える!